マンボウの歴史

このコーナーでは我々の先祖とマンボウの関わりについて少しですがご紹介したいと思います。

さて今回参考にさせていただく文献とは、動物園水族館雑誌の「マンボウの名称に関する歴史的考察」(山下欣二)です。日本におけるマンボウの名称の歴史を考察した唯一無二の貴重な文献です。明治時代以前に世に出た本草書、物産帳、料理本、辞典日記類からマンボウに関するものをピックアップして整理されている、まさに驚愕の文献。それではマンボウについて記載されている明治時代以前の文献を一部ですがご紹介しましょう。

出典古文献

文献名 著者名 成立年代 文献名 著者名 成立年代
1 書言字考節用集 不詳 文明年間(1469〜1487) 9 兎園小説 滝沢馬琴 文政八年(1825)
2 料理物語 不詳 寛永二十年(1643) 10 翻車考 栗本丹州 文政八年(1825)
3 大和本草 貝原益軒 宝永六年(1709) 11 魚鑑 武井周作 天保二年(1831)
4 海乃幸 勝 竜水 宝暦十二年(1762) 12 江戸流行料理通 不詳 天保五年(1834)
5 料理伊呂波包丁 不詳 安永二年(1773) 13 紀伊続風土記物産 仁井田好古 天保十年(1839)
6 雪のふるみち 津村淙庵 天明八年(1788) 14 魚貝能毒品物図考 浪華青苔園 嘉永元年(1848)
7 料理早指南 不詳 享和元年(1801) 15 魚仙水族写真 奥倉辰行 安政二年(1855)
8 筆のすさび 橘 泰 文化三年(1806) 16 水産図解 藤川三渓 明治二十二年(1889)

マンボウについて記載された文献が(山下氏が調べただけでも)1469年からあります。上記に載せていない文献も含めると全部で40ほどありました。それも料理・小説・薬・図鑑と様々なジャンルでマンボウが紹介されているようです。日本人とマンボウはかなり昔から関わりがあったようですね。

料理に関しては(文献の内容を見たわけではないので詳しくはわかりませんが)1643年にはもうマンボウ料理が存在していた可能性が!現在でさえ「マンボウを食べる」ことを知らない人が多い中)、350年以上も昔からマンボウが食べられていた可能性があるとは・・・。

さて、文献の名前だけ見たって面白くないでしょう。海乃幸(勝 竜水)に記載されたマンボウの図をご覧下さい。

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海乃幸(勝 竜水)よりマンボウの絵図 マンボウ

 

・・・う〜む、気持ち悪い。もう少し可愛く描けないものだろうか?別に可愛く描けってって言ってるんじゃないけど実物と全然違うじゃないですか(苦笑)。マンボウってこういう形(右の写真参照)をしているんだけどなぁ。とりあえず、私から言えることはあんなギザギザの歯はしていません!鰭(ヒレ)の形もエラの位置も違う気が・・・。

実際にマンボウがこのような顔をしていたら、今頃水族館では展示されてないだろうし、こんなに人気も出なかったでしょうね(笑)・・・もしかしたら実物を見ながら描いたのではなく、覚えていたイメージで後から描いたのかもしれませんね。なかなかマンボウに遭遇することもないでしょうし。

さらにマンボウの絵を見たい方は国立国会図書館の貴重書画像データベースの検索で「マンボウ」と打ち込んでみて下さい。栗丹洲<栗本丹州>でさらにリアルなマンボウの絵を見ることが出来ます。

さらにうききさんのHPの松浦静山『甲子夜話』によると、あの水戸黄門さま、水戸光圀もマンボウ大好きで、夏はお国で獲れたマンボウを江戸への献上品に添えて贈ったらしい、と書かれていました。なんとあの水戸黄門までマンボウ好きだったとは・・・。これはドラマで是非、黄門様がマンボウを食べてるシーンを見たいですね。


うききさん、本当にどうもありがとうございました。おかげ様で私も非常に勉強になりました。うききさんのHP「マンボウのおうち」も注目です。コンテンツの豊富さにただただ驚愕ッ!私ももっと頑張らなければ。これからもよろしくお願いします。

いかがでしたか?マンボウは500年以上も昔から本に登場し、色々なことに利用されていたようです。そして昔の人達のマンボウ絵、怪物のようでしたね。昔から日本人とマンボウの関係は続いており、それは現代にも引き継がれています。そしてこれは未来へと引き継いでいかなければならないものでしょう。これから1000年、2000年と続くことを願って!それではまた。


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