Barcelona, Spain(スペイン バルセロナ) &  Camogli, Italia(イタリア カモーリ)編

さて、休憩も終わって旅は続く。本日はバルセロナの水族館を訪問予定。
水族館のマンボウを見学する予定です。

車の中はこんなかんじでごちゃごちゃです。。3人も乗ればもう開きスペースはなし。S君、後ろの席で大変だったと思います。。
走ること数時間、バルセロナに到着。ヨーロッパでも有数の水族館です。
多くの魚がいましたが、マンボウの前は多くのお客さん。さすが人気の魚、別格。






舵鰭の波型が顕著に現れてます。
いわゆるマンボウ(ウシマンボウではなくて)っぽいです。
でもこんな体高のある太った舵鰭の波型が顕著なマンボウは私は日本では見たことがありません。
水族館でいい餌をいっぱい食べているからなのでしょうか?

そして左写真の女性。
彼女はマンボウの寄生虫の研究をしているエレナさん。
彼女へのお土産はマンボウの寄生虫…。
普通なら完全に嫌がらせの裁判モノですが、彼女は喜んで受け取ってくれました。
うーむ…ま、研究者ってそんなものなんですけどね。
エレナさん、案内どうもありがとうございました。

そして夜。

私はお酒が好きなので、まずはスペインのビール。その後はフルーツがいっぱい入ったサングリア。
これは女性でも美味しく飲めるお酒です。
右の写真はうさぎ肉。Lukasがうさぎを食べろとうるさいので注文しました。
美味い!って言ってみたものの、骨が多いし身は堅い。すぐ飽きてしまいました。
ちなみにLukasはうさぎ肉嫌いだって。おいっ!!

次の日の朝。
出発は11時。Lukasは眠いからということで、S君とバルセロナ観光。
サグラダファミリアを見ながら朝ご飯。
あまりに大きいので全体を写すことは不可能でしたが、池に写ったサグラダファミリアはこの通り。
綺麗ですね。

その後、フランスのニース→カンヌを超えてモナコを2時間ほど観光。
Lukas、運転と案内ありがとう。
そして夜中。ようやく目的地であるイタリアの小さな街、カモーリに到着。
ここが最終目的地。
果たしてマンボウは獲れるのでしょうか。

カモーリはジェノバ県に属する小さな港町です。
バカンスの街でもあるそうです。

イタリアといえばカプチーノ。
マンボウに思いを馳せながらカプチーノを頂く。美味しい。
その後、定置網を上から眺める為に丘の上へ移動。

崖っぷちにBARを発見。
さすがに昼から飲みませんが、いつかここでお酒飲みたいな。
さぁ、ここでは数日滞在予定なのですが、宿は高いということでキャンプをすることに。

こんな感じです。
夜は意外と寒くて厚着しないと寝れない状態です。

夜ご飯は近くのレストランでパスタとピザを。
本場のパスタは本当に美味しい。マスターもパイプのよく似合う優しい方でした。
デザートはキャンプ場内にあるチェリー。これって勝手に食べて良かったのかな?
さぁ、翌日は3時半時起き。マンボウが獲れることを願って就寝。

翌日。
さて起きたのは朝の4時。4時!?Σ(゚Д゚)
寝坊です。ここCamogliの漁師さんは一日に3回(朝・昼・夕)漁に出るのですが、朝一番は4時。
そう、完全なる遅刻。急いで準備をして向かったのだが、Lukasもさすがに途中で諦める。漁師さんに電話して昼の2回目から乗せて貰う事に。
明らかに不機嫌なLukas。ま、3人とも寝坊したので誰が悪いということはないのですが、Lukasは漁師さんと約束をしてたので申し訳なさから自分にイライラしていました。
ということでキャンプ場でもう一回寝ることに。そして3時間後。早めに出発。

朝はチョコクロワッサンとカプチーノ。ヨーロッパ旅行中はパンをよく食べました。パンが美味しい。
S君はラジオ体操、私は海に向かってシャドーピッチングで体を動かす。
Lukasには「Strange Japanese!」と笑われました。こっちの人は体動かして目を覚ましたりしないのかな?
さぁ、そして海へ。

出発。海から見たカモーリの街です。


一人、作業するイタリアの漁師。


見てください、この澄んだ地中海の青。
漁師さんたちはイタリア人はもちろん、ルーマニアからの出稼ぎの若者も。
イタリアの漁師事情を少し知りました。

お互い言葉が通じませんが、若者同士なぜか言葉以外のことで通じ合う。
やっぱり
下ネタは世界共通だ。
彼らの一人が腕に彼女の名前を漢字でタトゥーを入れていました。
見たこともない間違った漢字でしたが、それは黙っておきました。

さて、ここの定置網は一体どんな魚が獲れるのでしょうか?
そしてマンボウは?
ここでもまずは網の中に魚がいるか確かめる。
なんせ一日3回も漁に出るので毎回魚が入っているわけではないのです。
魚が入っていないのに網を上げても無駄なのでまずはしっかりチェック。
どうやら魚はたくさんいた様なので網を手繰る。


大型魚がたくさん。
でもこの時点でマンボウは見えない。

カメラを水中に入れてみる。
左下の左を向いている魚は…!?


左上、右上、真ん中右。
見慣れた背びれと臀びれ…。

いたっ!!
マンボウだ!!!

ここでもマンボウの捕獲成功。

早速、全長や体高などの情報収集。
ちなみにイタリアでもスペイン同様、フグの仲間ということで(毒持ちの可能性)マンボウは市場に流通されません。
よって捕まえたマンボウは網の外に逃がします。
でも結局、翌日には戻ってくると思うのですが…。
更に文化の違いなのでしょうがないのですが、マンボウを研究するに当たり非常に厄介な問題が一つ。
我々日本人はマンボウを食べるので可食部位以外の部分(肉や腸など)以外は研究で使用させて貰えるのですが、こちら(ヨーロッパ)ではマンボウを食べないので研究だけのために魚を捌くのはご法度とのこと。
我々としては胃内容物や骨の数などを数えたいのですが、なかなかそういうわけにいかずサンプル確保が非常に大変でした。
ポルトガルでは日本人の方で理解のある方だったので、色々と協力して頂いたのですが、ここではそういうわけにはいかず…。
結局、網の中に引っかかって死んでいたマンボウをなんとか1枚だけ頂くことに成功。
まぁでも「郷に入りては郷に従え」。相手の文化や主張は相手の場所では尊重すべきだと思いますし、そうしていかなければ関係はうまくいかないのです。

ということでマンボウの解剖は小舟で小さな港へ移動して人目のつかない場所ですることに。
山ほどマンボウを網の外を逃がしたのでヘトヘト。

ここなら人目もつかずマンボウの解剖が出来るでしょう。

Lukas、めっちゃ目立つんですけど…。

また運が悪いことに、この港には有名なレストランがあるそうで、そこを目当てにボートでお客さんがちょくちょく来るのです。
さらに運の悪いことに、地元のアインシュタインみたいな新聞記者が我々のマンボウの計測をずっと眺めている。
そして写真を一枚パシャリ。
かなりヤバい状況に。言葉が通じないので、「死んだマンボウを貰って研究で捌いている」なんてイタリア語で伝えられるワケがない。
誤解されたまま記事にでもされようものなら非難されるに違いない。
そこはLukasがすかさず彼に事情を説明。
彼も納得?してくれたようで一大事は避けることが出来ました。
後にこの事件があんなことになろうとは…。

さて、お昼も近づいてお腹がすいてきた。
我々もその有名なレストランで食事をすることに。
S君はそれどころではなく、便意をもよおしたようでトイレに直行。

コトを済ませてジュースを飲みながら佇むS君。
美味しいペスカトーレを頂いておなかいっぱい。
そして解剖の作業は沖に出て小舟の上ですることに。
最初っからこうしとけば良かった。


マンボウの腸の中には消化中のエサがたくさん。
日本でマンボウの腸の中身を確認した時はほとんどのマンボウで内容物を発見出来なかったのですが、イタリアではこんなにたくさんの内容物を拝むことが出来るとは。
上記の写真中央下の透明な物体はサルパ。クラゲのようでクラゲではない生き物です。あとはサルパにくっついているタルマワシという甲殻類であろうハサミ(写真中央下左)などが出てきた。これは貴重だ、ということでさっそく保存。
た・・・楽しい。
夢中で選り分けました。

そんなことしているうちに、夕方の作業のために猟師さんたちが港から定置網へ戻ってくる。
そして魚をチェック・・・している間に我々は昼寝。

とにかく日差しが強い。
あと、私は船酔いが激しいので酔い止めを飲んだとはいえ結構キツいのです。
結局、網の中に魚がいなかった為、陸へ戻ることに。

翌日の朝、もう一度漁へ。そして私はここでお別れ。帰らなければならないのです。

カモーリの漁師さんたち、本当にどうもありがとう。
ここでの思い出は一生忘れることはないと思います。
Lukas、今回の旅のアレンジ、運転、色々とありがとう。
あなたのようなマンボウ研究家と知り合いになれて本当に良かった。
S君、私の研究を引き継いでくれてありがとう。
マンボウ研究の未来は君に託します。手伝えることがあれば言ってね。これからも宜しく。

これも何かの縁か、イタリアで最後に泊まった部屋の名前がmola mola(マンボウの学名)でした。

これにてマンボウサンプリング-ヨーロッパ編-は終了。
最後までお付き合いして下さった読者の皆さん、どうもありがとうございました。
これからも仕事の傍ら、マンボウを追い続けて参ります。
次回の更新にご期待ください。

P.S.
後日、あのイタリアの新聞記者が地元の新聞にこんな記事を掲載して下さいました。
細かい内容はわかりませんが、地中海に出現するマンボウについての研究に関する肯定的な記事だそうです。
カラー記事でイタリア新聞デビューしました。
おしまい。


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